アルベルト・アインシュタインの論文を読む

アインシュタインの論文に関する独断と偏見に満ちた読後報告です。

1916年の論文「一般相対性理論の基礎」(その1)

  前回の投稿では、アインシュタインが重力が光の伝搬に与える影響を重力場における時の刻みの遅れから評価されることを論じた論文を読みました。しかし瞬間的ではあるにせよ、ローレンツ変換を利用していたので、空間についても収縮が起きているはずですが、それは考慮されていませんでした。


人類の知的遺産68
アインシュタイン
矢野健太郎 著
講談社 1978年


に訳出されている論文

重力の光の伝搬への影響について

の次には、標記論文

一般相対性理論の基礎

が訳出されています。この論文は重力場が存在する時空間をリーマン空間とみなして、リーマンの幾何学、リッチとレヴィチビタの絶対微分学を用いて物理法則の一般共変性を定式化したもので、論文の最後には強い重力場による光の伝搬経路の偏倚や光の波長の赤方偏移が取り上げられています。そこで今回から標記論文を読んでいきたいと思います。まず、標記論文の

A 相対性理論の仮定に対する基本的考察

の部の第1節

1 特殊相対性理論に対する観察

を読みます。まず初めにアインシュタインは特殊相対性理論が、特殊相対性原理の仮定に基づいていることを指摘し、ガリレイとニュートンの力学もまたこの特殊相対性原理を満たしていると述べています。ここでアインシュタインは特殊相対性原理を

もし一つの座標系 K が、それに関しては物理法則が最も簡単な形で成り立つように選ばれれば、同じ法則が、K に対して一様な並進運動をしている他の任意の座標系 K' に対しても成り立つ。

と表現しています。そしてここで言う「特殊」という言葉は、この原理は、座標系 K' が座標系 K に対して一様な並進運動をしている場合に限られていること、そしてこの同等性が、座標系 K’が座標系 K に対して一様でない運動をしている場合へと拡張できないことを強調するための言葉であると述べています。


 ここで注意しなければいけないことは、特殊相対性理論が古典的な力学が違っているのは、特殊相対性の仮定があるからではなく、真空中での光速度の不変性の仮定があるからだということです。この光速度不変の仮定を特殊相対性原理と組み合わせることによって、同時刻の相対性、ローレンツ変換、そして運動する物体の振る舞いや運動する時計の振る舞いに関連した法則が導かれるのだとアインシュタインは述べています。


 特殊相対性理論が空間と時間の理論に与えた変革は計り知れないものがあるという指摘には同意せざるを得ません。ですがアインシュタインは、それでもなお一つの重要な点がまだ触れられずに残されていると指摘します。特殊相対性理論によれば、幾何学の法則は、時間座標を固定した空間座標について直接には静止している立体の可能な相対的な位置に関する法則であると解釈されるべきものであり、もっと一般化して、運動の法則は、時間座標も含めて測定用の物体、つまり物差しと時計の関係を記述する法則と解釈されるべきものです。もう少し具体的に言えば、一つの定常的な剛体の中の任意に選ばれた二つの質点に対して、いつでもはっきり定まった長さの空間的距離が対応していてそれは剛体がある場所と向きには関係せず、また時間にも関係しません。また理論が許容する座標系に関して静止している時計の針が示す、二つの任意に選ばれた位置には、いつでも一定の長さの時間的間隔が対応していて、これは時計の位置や時刻には無関係です。しかしこれらはあくまでも特殊相対性理論によるものであって、以下で検証されるように一般相対性理論では空間と時間に対するこのように簡単な物理学的解釈か認められなくなることを見るであろうとアインシュタインは述べています。


 そこで次に

2 相対性の仮定の拡張の必要性

を読みます。アインシュタインは、エルンスト・マッハによっておそらはじめてはっきりと指摘された一つの先験的な認識論的欠陥が、古典力学に、そして特殊相対性理論に存在すると主張しています。そしてそれを例を挙げて解説しています。


 まず同じ大きさ同じ性質の二つの流体 S_1S_2 が空中で自由に浮かんでいるとします。これらの流体は互いに十分に離れていて、かつ他の質量とも十分に離れているので、相互作用としては同じ流体の異なる部分からの重力だけを考慮に入れればよいものとします。さらに二つの流体の距離は変わらず、その流体のどの部分も他の部分に対する相対運動はないものとします。ここで二つに流体以外の物質に関して静止している観測者から見れば、これら二つに流体は互いを結ぶ直線の周りに一定の角速度で回転しているものとします。ここでそれらの流体の各々が、それ自身に対して静止している測量機器で測量された結果、S_1 の表面は球面であり、S_2 のそれは回転楕円体であったとします。


  さて、アインシュタインはこの状況で質問

これら二つの流体の差はどんな理由によるものであろうか

を発しています。そしてこの問いの解答に対して厳しい注文を付けています。即ち、これに与えられる理由が実験的に観測しうるものでない限りは、どのような回答も認識論的に十分なものではありえないというのです。そして一つの解答が認識論の見地から十分なものであったとしても、それがも下の実験と矛盾するものであれば物理学的には妥当なものではないとと断言しています。因果律というものは結局観測しうる事柄として原因と結果が現れるのでなければ、実験の世界についての命題の意味をなさないという主張です。


 アインシュタインはこの問題に対して、ニュートンの力学は十分な解答を与えないと断じた上で、ニュートンの力学のの解答は次のようなものだと述べています。アインシュタインの考え方を追うのは私にとっては困難なのですが、行間を想像しながら埋めていくと以下のようになります。それぞれの流体は互いに相互作用することがなく、ひとつの流派鵜の異なる部分同士の重力相互作用だけを考慮するということから、流体は球形にまとまっていると考えてよいものと思われます。従って流体力学的振る舞いを見る限り、物体 S_1 が静止している空間 R_1 に対しては力学の法則が成り立っている考えられますが、物体 S_2 が静止している空間 R_2 に対しては成り立っていないと考えられます。しかしここで導入されたガリレイの特殊な空間、物体が静止していると空間は、人為的な原因からくるものであって、決して観測されるものではなく、従って、今導入した空間の場合にはニュートン力学は因果律を見かけ上満足しているに過ぎず、実際は満足していないのだとアインシュタインは主張しています。その理由は物体 S_1S_2 の間の観測しうる違いを人為的な原因である空間に帰しているに過ぎないという主張です。


 唯一のこれに対する十分な解答は、S_1S_2 からなる物理的体系が、それ自身の中で帰することができる S_1S_2 が異なる行動をする原因、しかも人為的でなく空想でもない原因を見つけ出すものでなければなりません。しかし上の考察からはそう言ったものを見出せません。となれば、その原因となるものは物理的体系の外部になければならないことになります。つまり運動の一般法則、特に S_1S_2 の形を定める一般法則は、S_1S_2 の力学的行動が、考察対象には含めなかったもの、この物理的体系から遠く離れたところにある物質によって、非常に本質的な点で、部分的に影響されているようなものでなければならないと、アインシュタインは主張します。これらの離れたところにある物質と、それらの物質の物体 S_1 と S_に対する運動とが着目している二つの物体 S_1S_2 の異なる運動の原因とみなされるべきであるとの主張です。そしてアインシュタインが主張したように、これらは観測可能なものでなければなりません。これらの物質が、人為的に導入された特殊な空間の役割を肩代わりすべきだとも主張しています。ここでアインシュタインは特殊な空間のすべてを考えます。互いに勝手な種類の運動をしている、考えうるすべての空間を考えると、その中には先験的に特別なものとみなしうるものは存在しないはずです。もしそのようなものが存在するとすれば、上で議論したように認識論的な反対が出て、否定されるだけです。私たちは観測手段として空間を座標系で代表させますから、

物理法則はそんな種類の運動をしている座標系に対しても当てはまるものでなければならない

という考え方に到達します。そしてアインシュタインはこの考えに従えば、相対性の仮定の拡張に到達すると述べています。抽象的な論旨なので理解できたとは言えませんが、大方このようなことではないかと思われます。


 認識論のこの重苦しい議論を離れて、アインシュタインは次に特殊相対性理論の拡張にとって有益なよく知られた物理的事実の存在について述べています。K をひとつのガリレイ座標系とします。即ち、K に関しては、少なくとも今考えている4次元領域内では、他。の物質から十分離れている物質は一直線上を一様な運動をするものとします。ここで言う4次元領域をカバーするガリレイ座標系とは、例えばある現象をとらえるための実験に着目するとして座標系 K はその実験装置が占める空間領域を覆うものであって、実験開始から終了までの時間の経過の間、座標系 K では監視の法則が成り立つと考えられるものという意味だと思われます。さらにもう一つ座標系 K' を考えます。K'K に対して一様に加速された並進運動をしているものとします。このとき他の物質から十分に遠く離れた物質はその物質の物質的構成と物理的状態とは無関係に、K' に対して一様に加速される運動をするものと思われます。そしてアインシュタインはこの状況で K' に対して静止している観測者がいるとして、その観測者が「実際に」自分が加速されている座標系 K' の上にいることを推論できるだろうかと問い、その答えは否定的であると述べています。その理由は、上で述べた物質と座標系 K' との関係は他の物質から十分遠く離れていて自由に動ける物質が一様な重力場の中に置かれていると解釈することもできるからだと述べています。即ち、座標系 K' は座標系 K に対して加速されてはいないが、K' が覆う時空の領域には、一様な重力場があって、物質はその影響によって K' に対して加速された運動をすると考えることもできるということです。


 以上の見方は、重力場がすべての物体に対して同一の加速度を与えるという注目すべき性質を持つことを示した実験によって、支持されることになるとアインシュタインは述べています。エートベスの実験は、地球上の物体に働く、物体の重力質量に比例する地球の引力、つまり重力と、地球の自転によって物体に働く、物体の慣性質量に比例する遠心力との合力の向きが、どんな物体に対しても同じかどうかを調べた実験で、一定の場所ではこの合力の向きが一定であることが確かめられ、結果として重力質量と慣性質量の比が高い精度で1であることが示されました。


 上で考えた座標系 K' に対する物体の力学的行動は、重力場内にある「定常的」な、あるいは「特別な」座標系とみなす座標系で経験するものと同じであるといえます。従って物理学的な見地からは座標系 KK' はいずれも定常的とみなせる場合もあるということです。アインシュタインはこれらの座標系は自然現象の物理学的な記述に対しては、座標系として同じ資格を持っていると仮定するアイデアが頭の中に浮かんで来ると述べています。


 このように座標系 KK' との考察から、慣性座標系を離れて一般相対性理論を追求していけば、重力の理論へと導かれるとアインシュタインは述べています。その理由を、単に加速度をもった系に座標系を変換することで重力場を「生成する」ことができるからだと述べています。さらに真空中の光速度不変の原理もまた修正すべきことは明らかだと述べています。特殊相対性理論においてすべての慣性座標系で光速度は同じであるとしていましたが、慣性座標系を離れれば話は違ってきます。もし慣性の法則が成り立つ座標系 K に対しては光が一定の速度で一直線上を伝搬したとしても、座標系 K' に対しては光線の軌道は一般に曲線になると考えられるからです。

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