アルベルト・アインシュタインの論文を読む

アインシュタインの論文に関する独断と偏見に満ちた読後報告です。

事の起こり

 私は、筑摩書房の書籍


アインシュタイン論文選「奇跡の年」の5論文
アルベルト・アインシュタイン 著
ジョン・スタチェル 編  青木薫 訳
筑摩書房(ちくま学芸文庫) 2011年


でアインシュタインの論文「運動物体の電気力学」を読む機会を得ました。特殊相対性理論に関する彼の有名な第1論文です。この論文に関しては


アインシュタイン 相対性理論
内山龍雄 訳・解説
岩波書店(岩波文庫) 1988年


原論文で学ぶアインシュタインの相対性理論
唐木田健一 著
筑摩書房(ちくま学芸文庫) 2012年


をはじめ論文全集などで多数訳出されていて日本語で読めるようになっています。


 実は、特殊相対性理論については私もいろいろな教科書で随分学びましたが、結局ものにはなりませんでした。やはり素人には難解である上に、そもそも20世紀初頭にこのようなことが物理学上のどんな問題になっていたのかが、よく分かっていないからだと思います。私は常日頃から、自分自身の浅学非才を棚に上げて著者にとって自明なことは、往々にして読者にとっては自明でないことが多いなどと、勝手な憤りを感じていました。それはおそらく論文や教科書を読む私の姿勢が、物事の正誤を明らかにすることに置かれていたためではないかと思われます。つまり著者の論旨を私の論旨で読もうとしているからだと思います。しかしそれでは学習にならないことにやっと気付きました。そこで読む姿勢を問題解決のための仮説の論証を明らかにすることに置いてみようと考えました。この立場に立てば、“相対性理論は誤っている”的な議論についてさえストレスなく論証を追うことが出来、多くの場合アインシュタインの考察とは異なる条件下で議論されていることが多いことが理解できました。


 さて、これは私の独断ですが、今回訳出された論文であるとはいえ、難しい中でも意外と私にも読めるかもと思わせてもらえたような気がしました。論文が発表されて後100年間に得られた知見を基に論文を読んでいることを考え合わせると、お釈迦様の仏典を読むのとは違って少しは読める部分があっても不思議ではありません。しかし一方で読めない部分が大部分であるのも事実です。それらのなかにはその時代の問題意識についての無知からくる部分がきっと多いのだろうと想像できました。ここで教科書を読むのと直に原著論文を読むのではどこがちがうのかを考えてみると、まさにこの部分が違っているのだと思いました。朝永振一郎先生が原著論文の論証について“ナッセントステート”の議論と評したのはまさにこの部分ではないのかと思いました。


 この夏、コロナ禍の第5波に見舞われる前に久々に立ち寄った書店で1冊の教科書を見つけました。


入門 量子力学 量子情報・量子測定を中心として
堀田昌寛 著
講談社サイエンティフィック 2021年


です。ディラックのベクトル記法、昇降演算子とパウリのスピン行列が多用されていました。ブラとケットの記法、つまりベクトルとその表示を混同した書き方に、少し不満がありましたが、何よりその内容に驚いて、買い求め、帰りの電車の中で早速読み始めました。今はもうなくなってしまった某大学院で私が学んでいたときの内容そのものに読み替えることが出来る多数の記述を発見できたからです。シュテルン・ゲルラッハの実験の解説に始まり、この実験がそもそも測定であるという立場で、測定対象と計測装置の合成系が考察されていました。これは当時の私の指導教官が再三力説されていたことでした。読み進むに従って私がかつて計算ノートに計算していた式が次々と現れ、私にとってはまるで当時の学習の文字通り教科書そのものでした。闇雲に計算していたのは、量子力学を情報理論として学んでいたのだと気付かされました。EPRの勉強そのものであったのです。当時そのようなことに考えが及びもしなかったことを今恥じ入るばかりです。


 この経験から例え1冊であっても専門書がすらすら読み通せることに気をよくした私は、そこで無謀なことを考えました。物理学の書籍はその議論の背景を知れば“ナッセントステートの状態”で読むことが出来るのではないかと言うことです。堀田氏の教科書も、ちくま学術文庫も、縁あって手にしたのだと思うことにしました。この機会に、青木薫氏訳の書籍からアインシュタインの論文をその時代の立場で読んでみようと思いました。幸い上記書籍には、1905年にアインシュタインが発表した5本の論文が訳出されて掲載されていましたので、それらを1905年の時点に立ち戻って読んでみようと思い立ったのです。素人のやることですから、調べるといっても手にできる資料には限りがあります。例え手に入ったとしても、外国語であれば手も足も出ません。また物理学史ほどの詳細な時代背景を調べた上で論文に当たることなど到底不可能です。さしあたり出来ることは論文に記述されている問題の背景を大雑把に把握することくらいであろうと想像します。


 まあ、ここでぼやいていても何も始まりません。取り敢えずは青木薫氏訳の書籍を読み始めることにします。

×

非ログインユーザーとして返信する