アルベルト・アインシュタインの論文を読む

アインシュタインの論文に関する独断と偏見に満ちた読後報告です。

1905年の論文「運動物体の電気力学」序論

 大きなことを言って打ち上げ花火を盛大にぶちかましただけでは格好が悪いので、なんとか論文を読み進めてまとめを投稿したいと思っていたのですが、恥ずかしながらすでに音を上げています。日本語訳ではあってもひとりだけで原著論文を読むのは難解です。幸いアインシュタインの文章と直接対決するのではなく、訳者の見解とは言いませんが、訳者の目を通して読むわけですから少しは敷居が低くなっているのだと自分に言い聞かせて読む他ありません。なんとか標記論文の序論を読んでみたいと思います。


アインシュタイン論文選「奇跡の年」の5論文
アルベルト・アインシュタイン 著
ジョン・スタチェル 編  青木薫 訳
筑摩書房(ちくま学芸文庫) 2011年


にある翻訳を読んでいきます。


 アインシュタインは、標記論文の序論で、後に特殊相対性原理と光速度不変の原理と称されることになる2つの基本原理を置けば、静止物体に対するマックスウェルの理論から、運動物体に対するマックスウェルの理論ができると主張しています。これが論文の表題であり、かつまたアインシュタインのこの論文での主張でもあります。


 まず序論から順番に読んでいきます。アインシュタインは電気力学を運動物体に適用すると、現象に固有とは思えない非対称がもたらされること指摘しました。一例として、磁石と導体の電気力学的な相互作用をあげています。このとき、観測される現象は、磁石と導体の相対運動だけで決まるはずなのに、電気力学に従うと、どちらが運動しているかによって2つの場合にはっきり区別されると指摘し、先ず磁石が動き、導体が静止している場合に言及しています。


 その指摘は、磁石が動くと、そのまわりの静磁場も動くので、空間的には磁場が変動することになります。磁場が時間的に変動する場所では電場が生成されますから、電荷はその電場から力を受けて動き始め、電流を生じるのだと思われます。これは

有限なエネルギーの値を持つ電場が磁石の回りに生じ,

という表現を電場によって導体に電位差が生じると勝手に考えました。


 次に、磁石が静止し、導体が運動している場合についても言及しています。磁石は静止しているので、その回りの磁場は時間的には変化せず、従って電場も発生しないが、導体中に起電力が生じるという指摘です。


 磁束の時間的変化が起電力となるというのはファラデーの法則ですが、磁石は静止しているので、この場合はそれには当たらないと考えられます。とすると、起電力には別の意味がありそうです。磁場の中を運動する導体内の電荷はローレンツ力を受けて動き始め、電流を生じるということだと思われます。これは

それにはエネルギーは伴わないけれども,

という表現を、磁場が及ぼす力が電荷の速度に垂直であって仕事をしないので磁力によるものではないかと勝手に考えました。そしてアインシュタインは電気的な力で生みだされても、磁気的な力で生みだされても、両方の場合相対運動が同じであるならば、導体内に同じ大きさ、同じ流れ方をする電流が生じるとしています。


 さて、アインシュタインは、エーテルに対する地球の相対運動を検出しようとした実験が上手くいかなかったことにも触れています。当時電磁気学的には光は電磁波であり、その媒質と考えられていたエーテルは宇宙空間を満たしていると予想されていました。場という概念はマイケル・ファラデーはジェームス・クラーク・マックスウェルによってもたらされたものですが、物質でさえ場で表現され、さらには量子化までなされる現在と違って、当時はまだ電場も磁場もエーテルの状態を表すものだと考えられていて、エーテルの力学的な運動で説明されるものだと考えられていました。そして、19世紀末にヘンドリク・アントン・ローレンツが電子論を展開し、電場と磁場はマックスウェル方程式に従うエーテルの状態であり、荷電粒子はエーテルに伴う電気力と磁気力を受けてニュートンの運動方程式に従って運動し、荷電粒子の存在とエーテル内での運動が電場と磁場を生み出すという観点が提示されました。ウィルヘルム・ヴィーンは、電磁場はそれ自体として基本的な存在であり、物質の振る舞いは、その物質がもっている電磁的な性質だけで決まるとし、電磁場の振る舞いをエーテルの力学的モデルで説明するのではなく、むしろ電場と磁場によって物質の力学的性質を説明しようとさえしたと言います。


 このような当時の物理学の最前線で、アインシュタインは電磁気学の現象、特に電気力学の現象は力学同様運動学と不可分であると看破したと考えられます。そして当時としては大胆な見解を述べています。引用すると、

力学の現象だけでなく電気力学の現象にも、絶対静止の概念に相当するような性質はなく,

と述べています。そしてアインシュタインはこの大胆な見解を積極的に採り入れて、

力学の方程式が成り立つようなすべての座標系において、まったく同じ電気力学や光学の法則が成り立つ

と予想を立てました。そして

このことは1次の量についてはすでに証明されている。

と指摘していますが、この部分はよく分かりません。電磁気学的な観測可能量を何かの助変数について展開したとき、1次の項については予想が成り立っているという意味なのでしょうが、よくわかりません。これはこれで棚上げのまま先に進みます。じかしアインシュタインはこれを原理にまで格上げし、『相対性原理』と名付けています。力学の方程式が成り立つような座標系、つまり慣性座標系という限定があるため、これは後に『特殊相対性原理』と呼ばれるようになります。


 アインシュタインは相対性原理を第一の基本原理とし、それに加えて第二の基本原理

光はつねに真空中を一定の速さ V で伝搬し,この速さは光源の運動状態に無関係だ

を導入しました。これが後に『光速度不変の原理』と呼ばれるようになります。そしてこの投稿の冒頭で、序文の内容に言及した文章が書かれています。

これら二つの基本原理を置きさえすれば,静止物体に対するマックスウェルの理論にもとづいて,シンプルで矛盾のない運動物体の電気力学を作ることができる。

 アインシュタインは、自分が作ろうとしている観点に立てば、絶対静止空間は必要ではなく、電磁気現象が起こっている場所が絶対静止空間に対してどのような速度を持っているのかを考える必要も無く、従って、光波の媒質としてのエーテルの導入も必要が無いと主張しています。


 いかなる電気力学理論の主張も、座標系の座標軸という剛体、時計、そして電磁気的過程のあいだの関係について述べるものだから、これから構築しようとする理論が電気力学である以上、剛体の運動学を基礎とすると述べています。しかも運動物体の電気力学に内在する困難は、そのことの考察が十分でなかったからだと指摘しています。


 ここからアインシュタインの問題意識は、本論の A 運動学の部で観測ということの詳細な考察へと移っていくことになります。

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