アルベルト・アインシュタインの論文を読む

アインシュタインの論文に関する独断と偏見に満ちた読後報告です。

1905年の論文「光の生成と変換に関する,ひとつの発見法的観点について」(その6)

 標記論文の第5節

5. 気体のエントロピーと希薄溶液のエントロピーの,体積依存性に関する分子論的考察

を読みます。アインシュタインは、分子論の方法でエントロピーを計算するとき、“確率”という言葉が確率論の定義とは異なる意味で用いられることが多いと述べています。コルモゴロフによって確率をルベーグ測度として厳密に定義されるのは少し後のことになります。


 アインシュタインは、別の論文の中で、熱過程を取り扱うときには、いわゆる“統計的確率”を用いれば十分であることを示すつもりであることを宣言しています。そしてその理論によれば、ボルツマンの原理の適用を妨げる論理的困難を取り除くことができると期待していると述べています。しかし、この節では、ボルツマンの原理の一般的定式化と、いくつかのきわめて特殊な場合への応用だけを示すと宣言しています。アインシュタインの主張の意味するところはよくわかりませんが、兎に角標記のテーマでエントロピーを考察していきます。


 アインシュタインは、系の状態確率というものを論ずることに意味があるとすれば、そして、エントロピーの増加がすべて、系がより確率の大きな状態に移行することだと考えて良いとすれば、系のエントロピーは S は、その系の瞬間的な状態確率 W の関数であると考えました。従って相互作用しない二つの系がそれぞれエントロピー S_1S_2 をもつとするとそれぞれを状態確率 W_1 と W_2 の関数 φ として、


S_1 = φ(W_1),    S_2 = φ(W_1)


とおくことができます。これら二つの系をエントロピー S と状態確率 W をもつひとつの系と見做すと、二つの系は相互作用しない孤立系なので、


S = S_1 + S_2 = φ(W),    W = W_1・W_1


となります。つまり関数 φ に関する関数方程式


φ(W) = φ(W_1・W_2) = φ(W_1) + φ(W_2)


が得られます。これは変数の積の関数値がそれぞれの変数の関数値の和で表されるという対数関数の性質です。実際、上式を W_1


W_2φ'(W_1・W_2)=φ(W_2)


と偏微分し、さらに続けて W_2 で偏微分すると


φ'(W_1・W_2)+W_1・W_2φ"(W_1・W_2)=0


φ'(W)+Wφ"(W)=0


となります。ここでφ'はφの1階導関数、φ"はφの2階導関数です。さらに


(dφ/dW)+W(d^2/dW^2)=0


(d/dW){W(dφ/dW)}=0


であることに注意すると、


W(dφ/dW)=C


dφ=C(dW/W)


となって


φ(W) = C ln(W) + 定数


であることが従います。


 アインシュタインはここで定数 C は普遍定数で、気体分子運動論から R/N という値を持つことが分かると述べています。R は気体定数、N はアボガドロ数ですので、(R/N) はボルツマン定数を意味し、確かにボルツマンの原理


S = -k_B ln W


に相当する式が導かれていることが見て取れますが、釈然としないものがあることも事実です。気体分子運動論と熱力学に長けていたアインシュタインにとっては自明のことであっても、読者にとってはそうでないことが往々にしてあるのではないかと思われます。量子力学が発見されて統計力学でいう状態という概念が明確になる前の時代ですから、古典力学と電気力学の範囲で熱力学的状態、或いは状態確率がどのように考えられていたのかを知る必要があると思われますが、私には難問なのでこの点は無視して先に進むことにします。


 従って、初期状態のエントロピーが S_0 で、初期状態から相対確率 W で変化する状態のエントロピーが S であるとすると、


S - S_0 = (R/N) ln W


を得ます。


 さて、アインシュタインはここで得られたエントロピーの表式で特殊な場合について考察をしています。

空間の体積v_0のなかに,運動する点(たとえば分子)が多数(n個)含まれ,

ている系を考えて、この系に以下の議論を当てはまるとして考察を進めています。しかも、着目している体積の中には、考えている点とは別種の運動する点が、任意の数だけ含まれていても良いとしています。そしてこの空間内での点の運動を支配する法則については、いかなる仮定もおかないとしています。ただ、これは後の考察に重要な仮定なのですが、点の運動は、空間内のどこでも、また空間のどの向きにも同じであるとしています。さらに運動する点の数は十分少ないとして、点同士の相互作用は無視できるものとしました。体積 v の中に希薄な単原子分子気体が閉じ込められていて、運動法則は問わず、空間的には一様にしかも等方的に運動している系にエントロピーの表式を当てはめるというだと考えられます。つまり理想気体や希薄溶液の系を考えていることになります。


 この状態で系はあるエントロピー S_0 を持つとした上で、特殊な状態として、運動している n 個の点すべてが体積 v_0 のなかの大きさ v の部分に集合している状態を考えます。着目している点以外の運動する点には何の変化もないとすると、この状態のエントロピーが S_0 とは異なる値 S をとることは明かです。アインシュタインはこのエントロピーの値の差をボルツマンの原理を使って求めています。そのために問題を

今述べた状態の確率は,最初の状態の確率と比べてどれくらいの大きさになるのだろうか?

あるいはまた

ランダムに選ばれた時刻に与えられた体積 v_0 のかなで独立の運動する n 個の点すべてが,(たまたま)体積 v のなかに見出される確率はどれくらいだろうか?

のように設定しました。さて、着目している n 個の運動する点のうちの1点を考えると、体積 v_0 のなかを一様等方に運動しているこの点がある瞬間に体積vに見出される確率は (v/v_0) であると考えられます。しかも n 個の点すべてが独立に運動しているので、個々の点が体積 v の中に見出される事象は互いに独立事象だと考えられます。従って、アインシュタインが指摘したように、n 個の点がすべて体積 v に集合している事象の確率は


W =(v/v_0)^n


の値となります。アインシュタインはこれを“統計的確率”と呼んでいますが、高等学校の数学で習う“統計的確率”と“数学的確率”の違いとは相容れないような気がします。しかし、このことには深く触れないで先に進みます。


 体積 v_0 の中をすべての一様等方に運動する点が見出される状態から体積 v_0 のなかの体積 v に着目しているn個の運動する点がすべて含まれる状態に変化する確率が


W=(v/v_0)^n


ですから、これにボルツマンの原理を当てはめると


S - S_0 = R(n/N) ln (v/v_0)


が得られます。アインシュタインはこの式からボイル-ゲイ・リュサックの法則、つまりボイル-シャルルの法則である理想気体の状態方程式、およびそれと類似の浸透圧に関する法則が、熱力学的に容易に導かれると述べています。実際、熱力学の第1法則


dU = TdS - pdV


より


dS = (1/T)dU + (p/T)dV


として V で偏微分すると、


(∂S/∂V)_U = p/T


です。一方、エネルギーが一定であるとして導かれたボルツマンの原理


S - S_0 = R(n/N) ln (v/v_0)


からは


(∂S/∂v) = R(n/N)(v_0/v)(1/v_0) = R(n/Nv)


が導かれ、V = v とすれば


p/T = R(n/NV)


pV = R(n/N)T


と理想気体の状態方程式が導かれます。アインシュタインはこの節の最後で


S - S_0 = R(n/N) ln (v/v_0)


を導くに当たって、点の運動を支配する法則については何も問わなかったことは注目に値すると述べています。

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