アルベルト・アインシュタインの論文を読む

アインシュタインの論文に関する独断と偏見に満ちた読後報告です。

1905年の論文「熱の分子運動から要請される,静止液体中に浮かぶ小さな粒子の運動について」(その1)

 ここまでアインシュタインの『特殊相対性理論』と『光量子仮説』に関する論文を読んできました。


アインシュタイン論文選「奇跡の年」の5論文
アルベルト・アインシュタイン 著
ジョン・スタチェル 編
青木薫 訳 筑摩書房(ちくま学芸文庫) 2011年


には、5本の論文が訳出されていますので、形だけですがそのうち3本を読んだことになります。せめてあと1本読んで、2、3の投稿しておけば例えそのあと放置しても、なんとなく読んでいるぞという体裁だけは整うだろうと勝手な考えが頭の中に浮かびました。上記の本にはアインシュタインの『ブラウン運動』の理論に関する研究の最初の論文が訳出されていますので、それを読んでいきたいと思います。


 先ず序文から読みます。アインシュタインはこの論文で、液体中に浮かんでいる顕微鏡で見える大きさの物体が、分子の熱運動のために顕微鏡で見えるほどの運動をすること示そうとしました。ここで論じる運動は『ブラウン運動』と呼ばれるものであるかもしれないと指摘しています。『ブラウン運動』は、植物学者ロバート・ブラウンが、水の浸透圧で破裂した花粉から水中に流出して浮遊している微粒子を顕微鏡下で観察中、微粒子が不規則な運動をすることを発見し、1828年に論文で発表しました。しかし、この『ブラウン運動』についてアインシュタインが知り得たデータの精度が低く、結果的に『ブラウン運動』と同じものであるとの結論には至らなかったと述べています。


 そこで、もしこれから論じられる運動をそれが従う法則とともに実際に観測されるとすれば、顕微鏡を用いているとは言え、古典熱力学が目に見える領域ですでに成り立たなくなっていると考えなければならならず、また原子の実際の大きさを正確に求めることが可能になると指摘しています。その一方で、もしそのような運動があるという予想が否定されれば、分子運動の観点から熱を捉えることに対する重大な反論となるだろうとも指摘しています。いずれにせよ統計的手法の試金石となる考察であることは間違いなさそうです。


 さて、第1節

1 懸濁粒子によって生じる浸透圧について

に進みます。全体積が V であるような液体中に、体積 V* の部分があり、そこに z グラム分子の非電解質分子が溶けているとします。そしてその体積 V* の部分が溶媒は透過させるが溶質は透過させなような隔壁によって純粋な溶媒だけの部分から切り離されているとすれば、その隔壁にはいわゆる浸透圧が働きます。今、V*/z が十分大きければ、つまり隔壁で切り離されている部分の非電解質分子の溶液が十分希薄であれば、浸透圧 p と温度 T の間に浸透圧に関するファントホッフの式


pV* = RTz


が成り立ちます。


 ところでもし隔壁で切り離された体積 V* の部分に、非電解質分子の代わりに小さな懸濁物体が含まれているとします。さらにその懸濁物体は溶媒が透過できる隔壁を透過できないとします。アインシュタインはこの状況を熱力学と分子運動論のふたつの観点から考察をして比較しています。


 熱力学の観点からすると、この場合考察の対象外である重力を無視するものとすれば、隔壁にはいかなる力も作用しないとアインシュタインは指摘しています。そしてその理由を、熱力学の解釈によれば、この系のヘルムホルツの自由エネルギーは隔壁の位置や懸濁物体の位置によらず、圧力と温度は別として、懸濁物体、溶媒である液体、隔壁の総質量だけで決まるからだと述べています。このことは私には自明ではありません。ヘルムホルツの自由エネルギー F


F = U - TS


です。従って自由エネルギーを求めるにはエネルギーとエントロピーが必要になります。アインシュタインは特に境界面のエネルギーとエントロピーを考えなければならないと述べています。また境界面に働く表面張力 γ は内部エネルギーを境界面の面積 σ で微分して


γ = (∂U/∂σ)_S


と得られますが、今の場合、隔壁や懸濁物体の位置が変化しても境界面の大きさは変化しないので、考慮しなくても良いと述べています。このあたりの溶液に関する熱力学的考察についてはまったく分かりません。なので、そんなものなのだろうと思うことにして読み飛ばすことにします。もしこの部分がこの論文に本質的に効くのであれば、読み進む内に全く理解不能になるはずなので、それまでは放置することにします。


 次に、熱の分子運動の観点からすると、溶質分子と懸濁物体は大きさが違うだけなので、アインシュタインは懸濁物体がそれと同数個の溶質分子と同じ大きさの浸透圧を生じさせないとは考えにくいと述べています。懸濁物体は液体分子の熱運動のためにごくゆっくりと液体中で不規則な運動をすると考えられます。しかも隔壁を通り抜けることは出来ないとしましたので体積 V* の外には出られません。なのでアインシュタインは懸濁物体も溶質分子と同じように隔壁に対して力を及ぼすはずだと考えました。つまり単位体積あたり n/V^*=ν この懸濁物体が存在すれば、ファントホッフの式によって


p=(RT/V^*)(n/N)=(RT/N)ν


の浸透圧が生じるだろうと述べています。ここで N は1グラム分子中に含まれる分子の個数、アボガドロ数です。巨視的な現象の法則と微視的な現象の法則に違いがあるという認識がある現代では非電解質分子と物体に同じ法則を適用ことには躊躇がありますが、量子力学建設以前のこの時代にはそのような考えはなかったことがうかがえます。さらにアインシュタインは、熱の分子運動論が浸透圧に対してこのようなより広い解釈を与えることを指摘していて、次節でこのことを示すと述べています。


 そこで、続けて第2節

2. 熱の分子運動論の立場からみる浸透圧

を読みます。この節では、アインシュタインが1902年と1903年に発表した論文を前提として議論が進められます。しかし、この2本の論文やこの節に現れる知識がなくともこの論文の結果を理解するは出来ると述べています。


 ある物理系の瞬間的状態を完全に決定する状態変数を


p_1, p_2, ・・・, p_l


とします。例えばその系に含まれている原子の座標と速度を想像すれば良いと述べています。従ってここでいう状態変数は熱力学的な変数ではなく、力学変数であると考えられます。現代の私達の知識では原子のような微視的な世界では古典力学が成り立たず、ある瞬間に原子の座標と速度に確定値を考えることには無理がありますが、この時代はまだ量子力学が確立していないので、自由度が(l/2)の質点系のような系だと考えておきます。おそらくは統計力学的な手法を用いて議論されるのであろうと思われます。そしてこれらの変数の時間的な変化を表す完全な方程式が与えられているとします。これ以降の記述があまりよく分りません。質点系の運動方程式ですが


∂p_ν/∂t = φ_ν(p_1, p_2, ・・・, p_l)   (ν=1, 2, ・・・, l)


Σ_ν (∂φ_ν/∂p_ν) = 0


であり、絶対温度をT、内部エネルギーを E'、質点系のエネルギーは p_ν の関数として E であるとすると、この系のエントロピーが


S = (E'/T) + 2κ ln ∫ exp(-E/2κT) dp_1 ・・・ dp_l


で与えられると述べています。この場合の積分は質点系の諸条件に矛盾しない p_ν の全ての値にわたって行うとしています。そして κ とアボガドロ数 N の間には 2κN = R という関係が成り立つと述べています。つまり 2κ = R/N ですからこれはボルツマン定数だとわかります。これよりヘルムホルツの自由エネルギー 


F = -(R/N)T ln ∫ exp(-EN/RT) dp_1 ・・・ dp_l = -(RT/N) ln B


が得られると述べています。確かにヘルムホルツの自由エネルギー F は内部エネルギー U と絶対温度 T とエントロピー S


F = U - TS


と表されますから


E' - TS = -2κ ln ∫ exp(-E/2κT) dp_1 ・・・ dp_l = F


となりますが、この部分は正直全く分からないので、この論文に先立って発表されたという2本の論文を読んでいないからだという言い訳をして適当に読み飛ばすことにします。


2κ=R/N


がボルツマン定数であることと手がかりに、被積分関数を


exp(-E/2κT) = exp{-E(p_1, ・・・, p_l)/k_BT}


と考えると、


exp{-E(p_1, ・・・, p_l)/k_BT}dp_1 ・・・ dp_l


はΓ空間の中で (p_1, ・・・, p_l) から (p_1+dp_1, ・・・, p_l+dp_l) の間の微小体積に含まれる状態密度と考えることが出来ます。つまり古典統計力学の知識を用いて、体積 V* で一定の粒子数の系が温度 T の熱浴に接触しているとすると、カノニカルアンサンブルでは、ヘルムホルツの自由エネルギー F が分配関数 ∫ exp{-E(p_1, ・・・, p_l)/k_BT} dp_1 ・・・ dp_l の対数で与えられることから


F = -(R/N)T ln ∫ exp(-EN/RT) dp_1 ・・・ dp_l = -(RT/N) ln B


が従うとして読み進んでいくことにします。ここでアインシュタインは後の議論のために


B=∫exp(-EN/RT)dp_1 ・・・ dp_l


と置いています。


 さて、質点系は、液体の体積 V の中の一部の体積 V* に含まれる n 個の溶質分子ないし懸濁物体で、半透性の隔壁によって体積 V* の中に閉じ込められているものとします。従って SF の表式の中の積分 B の積分範囲は体積 V* の中での溶質分子ないし懸濁物体の運動に対応したものになります。ここでこれらの質点系は考察している理論に従い、系の状態変数 p_1, ・・・, p_l よって完全に記述されているものとします。また溶質分子ないし懸濁物体の総体積は体積 V* に比べて小さいものであると仮定されています。ここでアインシュタインは、分子論的な描像でこの質点系があらゆる細部まで考察できたとしても、自由エネルギー F の積分 B の計算は極めて難しく厳密に求めることが出来るとは考えられないと述べ、しかし今の場合、積分 B が全ての溶質分子ないし懸濁物体が含まれている部分の体積 V* にどのように依存しているかが分かれば良いと述べています。


 ここで溶質分子ないし懸濁粒子の重心の位置を直交座標で表します。第1番目の粒子の重心を x_1,y_1,z_1、第2番目の粒子の重心を x_2,y_2,z_2、として最後の粒子の重心の位置を x_n,y_n,z_n と書きます。ここでi番目の粒子につて (x_i,x_i+dx_i)(y_i,y_i+dy_i)(z_i,z_i+dz_i) が張る平行六面体の無限小領域を考え、すべての粒子についてこの無限小領域 dx_1dy_1dz_1dx_2dy_2dz_2,・・・,dx_ndy_ndz_n を体積 V* に割り当てます。そしてアインシュタインは各粒子の重心が割り当てた無限小領域内にあるという制約をつけて自由エネルギーに含まれる積分を見積もろうとしています。つまり p_1,・・・,p_l のうち x_1,y_1,z_1、x_2,y_2,z_2、・・・、x_n,y_n,z_n 以外の変数についてこの積分を実行したものを


dB = dx_1dy_1dz_1・・・dx_ndy_ndz_n・J


と書き、この J について考察をしています。そのために粒子の重心の位置が今考えているものと違っている場合を考察しました。もし粒子の重心の位置に割り当てた無限小領域が今の場合と位置だけが異なっていて、大きさも、すべてを体積 V* 内に割り当てるという条件も同じであるとして別の無限小領域 dx'_1dy'_1dz'_1,dx'_2dy'_2dz'_2,・・・,dx'_ndy'_ndz'_n を割り当てたとすると、自由エネルギーに含まれる積分について同様の式


dB' = dx'_1dy'_1dz'_1・・・dx'_ndy'_ndz'_n・J'


が成り立つものと考えられます。しかも


dx_1dy_1dz_1・・・dx_ndy_ndz_n=dx'_1dy'_1dz'_1・・・dx'_ndy'_ndz'_n


であることに注意すると、


dB/dB'=J/J'


という関係式を得ます。


 ここでアインシュタインは再び1903年に発表した自身の熱の分子運動論に関する論文の結果を使って、dB/B は任意の時刻に粒子の重心が無限小領域 dx_1dy_1dz_1,dx_2dy_2dz_2,・・・,dx_ndy_ndz_n を占めている確率に等しく、dB'/JB も同じく粒子の重心が無限小領域 dx'_1dy'_1dz'_1,dx'_2dy'_2dz'_2,・・・,dx'_ndy'_ndz'_n を占めている確率に等しいことを示すことができると述べています。しかも、アインシュタインはさらに溶媒である液体は均一であって、十分に良い近似で個々の粒子の運動が独立でいかなる外力も作用していないとすれば、これら2組の領域に各粒子が存在する確率は等しいと述べています。従って


dB/B = dB'/B


であり、


J = J'


が従います。しかもこの関係は各粒子の重心の位置によらないので、x_1,y_1,z_1、x_2,y_2,z_2、・・・、x_n,y_n,z_n に依存しないことが分かります。このことから積分 B を実行すると、


B = ∫ dB = ∫ dx_1dy_1dz_1・・・dx_ndy_ndz_n・J = J ∫dx_1dy_1dz_1・・・dx_ndy_ndz_n = J(V^*)^n


となります。


 私はアインシュタインの論文を読んでいませんが、


B = ∫ exp(-EN/RT) dp_1 ・・・ dp_l


がカノニカルアンサンブルの分配関数に比例するものであることを考えると、古典統計力学からこの主張になんとなく同意できます。アインシュタインの仮定では懸濁粒子は溶媒である液体の中に一様に分布していて自由に運動しているとして、分配関数を計算するためにΓ空間での積分を実行することと同じだと考えられます。


 この考察によってヘルムホルツの自由エネルギーは


F = -(RT/N) ln B = -(RT/N)(ln J + n ln V*)


と求まります。ここから圧力 p


p = -(∂F/∂V*) = (RT/N)(n/V*)


と算出されます。従ってモル数 (n/N)=ν、つまりνグラム分子の粒子について


p=(RT/N)ν


という浸透圧に関するファントホッフの式と同じ式が導かれました。


 アインシュタインは、この考察によって熱の分子運動論から浸透圧の存在が導かれることと、同じ個数の溶質分子と懸濁粒子は、希釈度が大きければ浸透圧に関して共に同じ振る舞いをすると結論づけています。

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